連載シリーズ
21 広報いわき 24. 9
測定時期:午前中
単 位:マイクロシーベルト/時 計測機器:富士電機㈱
ハンディサーベイメータ NHE2
8月21日㈫の市役所本庁舎、各支所・市民サービスセンターでの放射線量測定値
庁舎・支所(本庁)平 小名浜 勿来 常磐 内郷 四倉 遠野 小川 好間 三和 田人 川前 久之浜・大久 地上1m
地上1cm 0.13 0.18
0.10 0.11 市民サービス
センター 豊間
地上1m 地上1cm
0.22 0.25
泉 0.12 0.12 中央台
0.18 0.17
0.06 0.09
0.09 0.06
0.16 0.14
0.19 0.18
0.13 0.14
0.15 0.18
0.09 0.13
0.11 0.15
0.19 0.22
0.08 0.10
0.14 0.12
【いわき市における検査状況と結果】
福島第一原発の事故当初は、本市に検査機器がなかったため、国が検査を実施(検出下限
値は5ベクレル/㎏)していましたが、昨年10月末からは市で独自に検査を実施しています
(現在、セシウムの検出下限値は、水道水、井戸水ともに1ベクレル/㎏)。
水道水(平・上野原など市の浄水場)については、事故直後いくつかの浄水場にヨウ素
131の検出が認められました〈図1〉が、昨年4月4日以降現在まで全て、検出下限値未満
となっています。
井戸水など各地域の飲料水については、
昨年4月18日の測定開始以降現在まで全
て、検出下限値未満となっています。
〈表1〉は昨年10月から今年5月末まで
に検査を実施した地域と件数です。
【飲料水による被ばくと安全性】
ヨウ素については、平浄水場水系の水
道水で最大215ベクレル/㎏の汚染が検出
されました。事故後の被ばく線量につい
て評価してみると、100ベクレル/㎏の水
を毎日1ℓ、20日間摂取し、その後はヨ
ウ素がほぼ減衰する約80日間、検出下限
の5ベクレル/㎏の水1ℓを毎日摂取し
たとすると、影響の大きい子どもで0.24
ミリシーベルト程度になります(大人
は1/5程度)。これらの値は健康に影
響を与えるほどではないと言えます。
セシウムについては、井戸水などの検
出下限の1ベクレル/㎏の水1ℓを毎日1年間摂取した場合、年間被ばく線量は0.01ミリ
シーベルト程度(大人・子どもを含め多めにみて)です。現在ヨウ素は減衰しているので、
セシウムについて現在の検査が行われていれば、安心して水道水などを利用することがで
きると言えます。なお、水道水などの検査結果は、市のホームページなどで見ることがで
きます。 【市放射線量低減アドバイザー 星蔦雄】
もっと知りたい放射能 ⑥
もっと知りたい放射能 ⑥
もっと知りたい放射能 ⑥
『食の安全(その2):いわき市の飲料水の放射能』
〈図1〉ヨウ素濃度の変化
平上野原
〈表1〉飲料井戸水などの検査件数
(平成23年10月26日∼平成24年5月31日:全て検出下限値未満)
放射線に関する問い合わせ窓口 ☎0120−988−359 平日:8時30分∼20時 土日祝:8時30分∼18時
石住・貝泊・荷路夫・黒田・旅人・南大平 入遠野・上根本
深山田・上遠野・滝・大平・根岸
大久・小久・末続 63
7235 8318 8388 4517 1553 636 641
16 178 105 85 264 1610 75 137
123 99 167 21 149 61 89 上桶売・下桶売
川前・小白井 合戸・渡戸・中寺 上市萱・下市萱 上三坂・中三坂・下三坂 上永井・下永井・差塩 上小川・柴原 塩田・西小川
・大久久之浜
地 区 井戸 沢水 湧水
川 前 三 和
小 川 田 人 遠 野
その他(常磐・四倉・好間など) 合計(総数:867 件)
(ベクレル/㎏)
200 215
100
03/10 3/21 3/26 4/1
放射線量の単位 : モニタリングポスト(放射線量の常時測定装置)の測定結果で、毎時マイクログレイ(μGy/h)と表示されているも のは、毎時マイクロシーベルト(μSv/h)に換算できます
市民のひろば
広報いわき 24. 9 20
者もいましたが、残った職員で利用者の生活を守るため対応しました。 また、生活物資やガソリン不足など大変困難な状況にもなりましたが、テレビで窮状などを訴えた結果、十九日から救援物資が届くようになりました。利用者は一人も帰さずに守ることができました。Q 利用者への対応で苦労されたことは。 利用者の皆さんを不安にさせないように、震災前と同様の日常生活が送れるよう努めました。Q 震災での教訓はありますか。 非常時には、リーダーがぶれないことです。災害時は情報の入手が大切ですが、適切に情報を入手し、それを職員に伝え、ぶれずに判断したことで、職員一同が団結し、困難な状況を乗り越えることができました。 きを撤去し、通行できるようにしました。水道が断水していましたが、一日五百リットルの水が必要だったので、自力での確保に努めました。また、栄養剤、非常食、紙オムツなどは、市内を駆け回って集めました。 職員や利用者の家族などから米や野菜の差し入れもあり、また、厨房が直営だったので寮母や看護師も協力し、利用者には一日三食欠かさず食事を提供することができました。Q 原発事故後はどうでしたか。 三月十三日に久之浜・大久地区が自主避難となったことから、同日夜に会議を行い、利用者の状態を考え、避難指示が出るぎりぎりまで待機するための体制を整えました。原発事故のため、若い職員などで避難した Q 震災当日の状況はどうでしたか。 地震発生時は、施設内にいました。一年前のチリ地震の際に避難訓練を実施していたので、この経験を生かしてスムーズに避難することができました。まず、一階の利用者を二階に担ぎ上げ、次に状態の良い方を屋上へ避難誘導しました。みぞれが降る中、布団や毛布を掛け、風邪を引かないよう配慮しました。 避難完了後、午後三時半ごろに大きな津波が来ました。施設は海岸から二百メートルぐらいですが、少し高台になっていることなどもあり、駐車場が浸る程度で済みました。Q 翌日からの対応はどのようなものでしたか。 三月十一日の夜から道路上のがれ
市民のひろば
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市民のひろば ∼震災の記憶を後世に∼
今月号は、四倉町の特別養護老人ホーム楽寿荘の施設長である
佐藤英介さんに、震災当時の状況や利用者の生活を守るために
行った対応などについて、インタビューした内容をお伝えします。
震災直後、みぞれを避けながら屋上に避難し た利用者と職員の皆さん
震災前の日常生活を取り戻した現在の 施設内
佐藤英介さん(楽寿荘施設長)さ とう えい すけ